最近、宗教勧誘に遭う夢を見て、昔、ある新興宗教の系列の道場に行ったことを思いだした。宗教系列といっても、その道場でやっているのは武術であって、剣術や柔術から考え出されたと思われるいくつかの型をつなぎあわせて流れるような演武をするのである。それは舞に非常に似ていたし、あるいは太極拳などもこのようなものであるかもしれない。だがわたしは毎週同じところへ行くとかいうことがどうしてもできない人間であって、3回も行かないうちにおっくうになってやめてしまった。
宗教勧誘というのは面白いものである。わたしも人並みにいくつか受けたことがあるが、たいていの勧誘者が、その宗教の聖典や創設者の本をろくに読んでいないことに、いつも驚きを禁じ得なかった。聖書を読んでいないキリスト教系新興宗教の勧誘者、日蓮の著作を一冊も読んでいない日蓮主義新興宗教の勧誘者など、こうした人たちを見ていると、むなしさなどというものを通り越して、なにか人間世界のおかしみといったものを見せられているような気がしてくる。
その武術を見学に行ったころ、わたしは20代の半ばで、それこそありとあらゆるものを渉猟して歩いていた。新興宗教だろうがスピリチュアル系とよばれるものだろうが占星術だろうが、おかまいなしだった。そのころから、わたしはときどき聖書を読んでいた。だがまだそこへ行き着くことはできないと思っていた。わたしはイエスという男を個人的に知っていたけれども、それと宗教とはなにか相容れない、別物の感じを抱いていた。その違和感を打ち砕くために、わたしは10年も費やした。10年も費やして、わたしはこのイエスという男との個人的な関係を受け入れた。洗礼は、そのあかしでありその宣誓でもあったように思う。
それから2年経って、わたしはいまその宣誓の意味をかみしめている。それがほんとうに意味していたこととはなにかを、わたしはいま知ろうとしている。しょせんわたしは宗教的な人種ではない。世間で云われるような意味においては、わたしは少しも宗教的でない。わたしは喜捨せず、祈らず、儀式に出ず、そのほか宗教的と見なされるいかなる行為も日常的にはすることがない。こうしたことは、本質的には神とはなんの関係もない。神はただ個人との関係の中にしかその姿を現さない。神に狙いを定められてしまった不幸な者だけが、そのことを知っている。
だが、実にこの10年である。右も左もわからず、自分がどんな衝動を抱き、なにを抱えているのかもわからずに迷うこの暗闇の10年を、とにかく、なんとしても耐えぬくことだ。わたしの魂は実によくそれに耐えぬいた。それは人によっては10年で終わらず、20年、30年とかかることもあるだろう。とにかく、この間、苦しみに負けて安易な答えに逃げないことだ。自分を既製のなにかで満たすことができるような安易なものと決してみなさないこと……意地というのはそうしたものであるように思う。くそ根性といってもいい。わたしの愛するドイツ語学者の関口存男先生は、たぶんこれを「くそ勉強」と呼んだのである。世の中が面白くないときには勉強にかぎる、と関口先生は云った。そして世の中も自己も面白くないときにも、やっぱり勉強にかぎる。うなりながら自己というひとつの大きな問題にとりくむことが、10年、20年先に、どれほどの実りとなって返ってくるかわからない。
最近読んでいる本に、こんなことが書いてあった。ブッダチャリタといって、釈尊の生涯を描いた仏典である。
青春は落ち着きがなく、快楽をもっぱらとし、はなはだ軽率で忍耐に乏しく、遠謀深慮を欠き、欺瞞に満ちています。荒野を抜け出た後で安堵の息をつくように、青春期を無事に通過した後で、安堵の息をつくのです。
(『完訳 ブッダチャリタ』梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳注、
講談社文芸文庫、2019年)
これは城を出て出家してしまったゴータマに向かって、ゴータマの父の友人であるマガダ国の王が、若いときから宗教に傾倒などするものでない、まずは世俗の義務を果たして、しかるのちに静かに隠遁の生活に入ったらよかろうと諭す場面で云われたものである。青春期にはただでさえ思慮が足りず熱くなりやすいのである、ましてや一時の熱狂で出家するとは……。
青春は暗闇の時期である。その時期には、人生を照らしてくれる光はまだその人の上に輝かない。その人は、自分が何者であるかを知らず、なにをなすためにこの世に生まれたかを知らず、ゆえにおまえもまた人の欲するものを欲し、人と同じようにやることだ、という声に容易に屈する一方で、心の底ではほんとうはなにかをつかみたくて、なにかを知りたいが、それがなんなのかもよくわからない。それでがむしゃらにあちこちへ突っこんでゆき、ぶつかってけがをしたり穴に落っこちたりする。ときに、穴に落ちてけがをしていることにさえ気づかないほど、猪突猛進、思いこみが激しくて荒々しく愚かな時期である。
青春は、魂にとってまことに危険な時期である。それは御者のないままに、手綱のないままに放り出された暴れ馬みたいなものである。そのおそろしくあぶなっかしい時期を乗り越えてはじめて、人はそれを乗り越えたことを、自分がいかに危険な道を進んできたのかを知るのである。そして自分がこのように生きていることが、なにかたとえようもなく貴重なことであるように感じられる。いつ死んでもまったく不思議でないような道を、なぜか自分は生きて通りぬけてきたことを知るからである。それは自分の判断や努力やなにかといったものよりも、多く幸運に帰されるべきもののように、その人には思われる。あるいはなにか見えない力が自分を守護してくれていたために、このような危険を切り抜けられたのではないだろうか。なんだか夢のようだが、不思議なことだ、ありがたいことだ……その人はそんなふうに思い、自分の来た道をふり返って、やがて首を振り、その場を立ち去る。
この冒険をしないですんでしまう人もあるが、そういう人は幸運なのか、不運なのか、どっちであろう。この冒険をくぐり抜けたやつは、自分がちょっとやそっとでは死なないか、死んでもたいしたことでないと思うようになる。これはたいしたことである。こうなってしまえば、人生の問題はもう何割かクリアしたも同然ということになる。もちろん魂はこのあとも相変わらず幾多の試練に遭って、そのたびに頼りない灯火のように揺れるだろうが、おのれの魂が灯火のように頼りなく揺れることと、ほんとうに頼りないものであることとのあいだには、看過することのできない大きな違いがあるのだ。
ところで、釈尊の出家の決意は固かった。彼はまだ真理を見つけてはいなかったが、自分がそのために生きねばならないことをすでに確信していた。世俗を捨て、すべてを捨て、人を悲しませ義理人情に背いたとしても、それが自分の目的であることを確信していた。マガダ国の王に答えて、釈尊は「わたしは人の欲しがるものなど欲しくはないのです。それらはみな、むなしいものだからです」と云う。
このとき、釈尊は29歳であった。そして35歳のとき、菩提樹の下で瞑想に入り、悟りをひらいたのである。