知り合いの方から、興味深い公演があると教えてもらった。観世流の演能団体である銕仙会が、「ヤコブの井戸」と「長崎の聖母」を今日から週末まで上演する。詳細は公式ウェブサイトを参照していただきたいが、配信サービスがあるので、わたしはそっちのチケットを買った。
「ヤコブの井戸」の原作を書いたのはウィーンの心理学博士で、元ネタはヨハネ福音書4章1~30、イエスがサマリア人の女と問答する話である。
イエスはユダヤ教ファリサイ派の人たちから逃れるために、ユダヤの地からガリラヤへ戻ろうと旅していたとき、途中でサマリアの地を通った。サマリアはパレスチナの中央部に位置し、南部のユダと北部のガリラヤを結んでいるが、この地に住むサマリア人たちは、紀元前八世紀にイスラエル王国のユダヤ人がアッシリアへ強制移住させられたとき、残留した者たちと入植してきた異民族とのあいだに生まれた者の子孫で、宗教や風習などさまざまな面でユダヤ人とは異なり、ユダヤ人と対立していた。
イエスはこのサマリアのシケムという町に来て、「ヤコブの井戸」と呼ばれる井戸の傍らに座って休んでいた。真昼ごろのことである。するとそこへひとりの女が水を汲みにやってくる。イエスはその女に水を飲ませてくださいと頼むが、女は相手がユダヤ人だとわかって驚き、なぜユダヤ人のあなたがサマリア人のわたしに頼み事をするのか、と問いかけるのである。そしてそこからこの女とイエスとの問答がはじまるのだが、能「ヤコブの井戸」はこの物語を下敷きにしており、聖書を題材にした能というものの可能性を考えるうえで非常に参考になるのではないかと思って、ちょっと楽しみにしているのである。
というか、実はそういうものを考えていたことがある。戯曲として、能はまだまだ多くの可能性を秘めているような気がする。古典というものは、常に完成されたものであって、現代人がそれに手を加えることにはさまざまな問題がつきまとうが、それらの無茶をあえて冒してみるというこころみが、ゼロになったらそれもそれでつまらない。能は日本で生まれた芸能ではあるが、別に日本人の専売特許というわけではないし、仏教に深く根ざしていることは事実だが、別に仏教思想をまとわなければならないというものでもあるまい。ただ、このへんのところは許容にかなりの個人差があるだろうから、そのへんがまた難しいわけだけれども。
結局、問題は、その作者が宗教というものを、人間というものをどこまで理解しているかにかかっている。そして題材と様式に対してどれだけ真摯に向き合うかだ。ただそれだけのことである。それ以外のことは、みんな些細な問題である。