桜坂

 桜が咲いた。
 今年はあまり天気が荒れないせいか、満開の桜を長く楽しんでいる。やっと春が来た。日差しが温かく、風の寒さもずいぶんやわらいできた。

 庭のつげの木の実をヒヨドリが食べに来る。ヒヨドリは食いしん坊らしくて、ほかの鳥は見向きもしないつげの木の実をよくついばみに来る。なにやらにぎやかに鳴きながら、いつも五、六羽くらいの小さな群れが愉快そうにやっている。この鳥は近くで見るとけっこう大きいが、上手にホバリングして、椿やいろいろな庭木の上にとまる。それがまたいかにも上へ下へとうねるように飛ぶのを楽しんでいるふうだ。そうやって目当ての木の上にとまると、どうだと言わんばかりに首を伸ばしてヒーヨヒーヨと鳴いている。イーヨイーヨと言っているようにも聞こえ、春のぼうっとした日差しと相まって、なんだかみんないいような気がしてきてしまう。

 ヒヨドリの陽気さに誘われ、また春の陽気に誘われて、外へ出た。
 集落にぽつぽつとある桜はあたかも満開で、道々それを楽しみながら、子どものころ祖母とのぼっていた小さな坂をのぼって、むかし農協が入っていた煉瓦色の建物の裏手に出た。その坂は以前は棚田として活用されていたが、いまは耕作放棄地のおもむきで、一面緑の草っ原になっている。人の土地なのでほんとうはこんなところをのぼってはいけないのだが、なにしろ子どものころから使い慣れた道なので、いまだにときどきどうしてもその坂をのぼりたくなる。
 むかしは農協が同じ敷地内で小さなスーパーをやっていて、祖母は日々の買い物をほとんどそこで済ませていた。わたしはいつもそれについて行ったので、その坂をのぼるのは慣れたものである。田んぼ脇のあぜ道を、われわれふたりの女軍団は買い物袋と手提げカバンと泥はねあとも美々しき長靴とで武装して、勇ましくのぼっていった。ただのあぜ道だから、雨のあとなどは特にぬかるんで滑りやすいし、長靴にはますます泥の飾りがつくしで、あまり快適な道ではなかったけれども、そこを通らないと、うんと遠回りしてぐるりと回りこむような道をとらなければならない。さいわい、その坂を所有している家のおばあさんと祖母とは親しい関係にあったので、そこを通っても許されたのである。
 膝の痛む祖母を励まし励まし、わたしはのぼった。そのころ祖母のことをとても年寄りだと思いこんでいたが、考えてみたら当時祖母はまだ六十そこそこで、いま同年代の人に年寄りなどと言うと怒られそうである。が、当時のわたしにとって祖母は年寄りであり、年寄りというのは体のきかないものだから労らねばならぬという、ごく単純な認識があった。当時は九十近くになる曾祖母がまだ生きていたが、日がな一日こたつでぼうっとしていて、食事を出されて寝るだけの人だった。祖母もいつかはああなり、自分もやがてああなるのだと、そのころからぼんやり思っていた。祖母は曾祖母のようになる途中の人であって、やがて動けなくなるのだから、動くのを助けてやらなくてはいけないという気持ちでいた。

 その祖母はもういないし、わたしはもう子どものころの赤い長靴でなく、大人用の暗い色の長靴をはいている。その長靴の足であぜ道の名残の道を踏み、くるみや栗の木の下を通って、ずんずん坂をのぼってゆく。百メートルかそこらのごく短い坂をのぼりきると、きれいに整形されコンクリートが打たれた平地の隅の、舗装のされていないところに、桜の木が二本植えられている。
 花の色は片方が少し濃い桃色がかった色をしていて、もう片方はもっと白っぽい。農協はとっくに撤退してしまっているうえ、そこは建物の裏手になっていて表の通りからは見えないので、その桜の木はほとんど忘れられたような存在だが、誰かが一応管理はしているらしい。木のまわりに切り落とされた枝がなんとなく投げやりに、無造作に並べられている。桜は何年生きるのかよく知らないが、この二本桜も少なくとも植えられてから半世紀近くになるに違いなく、わたしは独特のごつごつした、ふしくれだった年寄りの手のような木の肌の上に手を置いて、しばらく親しげになでたり叩いたりした。
 このあたりは子どものころの遊び場のひとつだった。スーパーがあるから、祖母に連れられた子どもがよく来る。ばあちゃんたちが買い物ついでにおしゃべりなどはじめると、子どもはすぐに退屈して、仲間を探して遊びだす。子どもたちはたいていスーパーの前の、広い駐車場になっているあたりで遊び、建物の裏手にはあまり人が来なかった。建物の裏に面した桜の木の周りは、表通りから離れてなんとなく秘密めいていて、眼下の坂の両脇に植えられたくるみや栗の木がいつもざわざわと音を立てていた。
 だからよその子には少し薄気味悪く、恐い空間であったかもしれないが、わたしはなにしろこの桜の木のあるところが玄関口みたいなものだったし、この場所が好きだった。それであまりみんなの遊びには加わらないで、いつもなんとなくこの裏手のほうへ来て、坂の上からあたりを眺めた。桜の木があり、くるみと栗の木があり、坂を下りきったところには太い杉の木があって、その根元に清水が湧いており、喉が渇いたらそこまで行けば水を飲むことができた。そうしたものを見ていると、なんだか必要なものはみんなここにあるような気がし、どこへも行かないですむような気がしたものである。桜の木に腕を回して抱きつき、ぼんやり風に吹かれていると、自分が桜になってゆくような気がしたものだ。長いことこうしていたら、そのうち自分の体から芽が出て、枝が出て、花が咲くかもしれない。そうしていま桜の木をとりまいているツタに自分も巻かれてしまって、ここから動けなくなるかもしれないと思った。そうなったら恐いし、いやだけれども、でもなんだかそれでもいっこうかまわないような気もするのである。

 そしてわたしはいまだに、そうなってもいっこうかまわないような気のするままだ。子どものころのように坂をのぼり、桜の木のところへ着くと、わたしはその周りを親しげに回り、あたりに無造作に積まれて並べられている枝をしげしげと見て、こいつがもとはみんなおまえたちの一部だったのだと思うとえらいことだと思うと桜の木に言う。そうして二本の木のあいだに腰を下ろし、ふと地面に目を落とすと、そこに小指の半分ほどのごく小さな枝が、枝のまわりに花環のように花を並べてつけたまま、落ちているのが目に入る。そのきれいな腕輪のような形に惹かれて、わたしはそれを手にとって眺めだす。
 もって帰ってもよいと桜が言うので、わたしはそいつを遠慮なしにもらうことにして、こいつを土に挿したらいつか大きくなるかしらなどと途方もないことを考えたので、桜は体を揺らして笑った。
 手の中に桜色の花環を握りしめながら、わたしは長いことそこに座って、坂の向こうに広がる田んぼと山とを見ていた。桜の花環を手の中に握っているので、わたしはなんだか自分が半ば桜になってきているような気がしはじめた。両手に桜の枝を持ち、一差し舞ったならば、わたしはもう桜であるかもしれない。集落の家の裏に、こぶしの花が咲いているのが見える。椿がバラのように咲いている。わたしはやがてああしたものと同じになり、親しく交わりはじめるだろう。花の言葉を話し、風の声を聞く。鳥の陽気なおしゃべりに耳を傾け、自分の肌の上を大小の虫が這いずるにまかせる。ツタがくるくるとこの体に幾重にも執念深く巻きつき、無数のカビが、菌が、わたしのなかに根を張って、そこをねぐらにしはじめる。
 けれどもおそらくそのときでさえも、わたしの中には完全な桜になりきれないものが、最後まで残る。それがわたしを人間の座に押しとどめ、あたりの景色にどこかもの悲しい色を添え、痛切な寂しさを訴える。……

 そのときふいに強い風が吹き、桜の花びらをいくつも巻き上げた。
 花嵐の中にはひとりの翁がいる。わたしはその翁のことを知っている。その翁は、こちらが向こうを認めると、微笑んで風の中から降りてきて、舞を披露してくれる。いまその翁はわたしに微笑みかけ、目の前の坂を舞台に、背景に見慣れた山を背負って、袖をめぐらして舞を舞った。桜の木に囲まれて、わたしはその舞を見つめていた。翁の袖は廻雪の花の袖、その中に翁は春の風を、花の吹雪をしまいこんでいる。翁は春の中をめぐる。そうしてその存在に気がつく者には微笑みかけて、その舞を披露しては、またどこかへいなくなる。
 われらは皆、ただともに春の風に吹かれる者。そういう言葉を、翁が残していった気がした。わたしはその言葉をくり返し、頭の中で転がしつづけた。わたしは桜でもなく風でもなく翁でもない。けれども桜が桜であり、風が風であり、翁が翁であり、わたしがわたしであるために、わたしたちはただ春の風にともに吹かれる。ともに、ただともに、けれどもそれぞれの胸の奥底に、どうしようもないやさしさと悲しさとを帯びて。わたしは桜の枝をふって歩く人間でありつづける。桜は花を咲かせて散らし、新緑の葉を広げては落としつづける。翁は気まぐれに風に乗ってあらわれ、また去ってゆく。

 もうそろそろ花も終わりだよ、と帰り際に桜が言った。今年はずいぶん長くこうして咲いていたが、それももうおしまいだよ、と。
 もう一度桜の木々を親しげに叩いて、わたしは坂を下り、帰っていった。大きな杉の根元に湧き出た水の上に、桜の花びらが吹き寄せられ、小さな花筏ができていた。黒い羽虫が何匹か、その上にとまったりすぐに飛びたったりして遊んでいた。それをじっと眺めているうちに、わたしはもうその花筏に乗って、虫どもとともに虫の王国を探検している自分の姿を思い描いていた。