本物

 最近よく思うのだが、人がほんとうに平等を夢見るのなら、最終的には目の見えない人に合わせて全員目が見えなくなるべきだ、という理屈をあくまで押し通すよりほかないのではないか。平等とはつきつめればそういうグロテスクなものだが、そのグロテスクさを芸術に当てはめることだけは勘弁してもらいたいものである。
 変な平等主義のようなものによって本物の価値が蹂躙されることだけは避けたいものだが、しかしそうしたものによって本物が蹂躙されることに腹を立てるのは、本物がなんであるか知っている人だけだというのもまた真実かもしれない。

 けれども結局、本物の価値というのはそれに頭をぶん殴られ心臓を撃ち抜かれた個人の中だけにあるので、そんなものを集団の中へ持ちこんでどうこうしようとすることがすでに、そもそも間違いであるかもしれない。