「夢」というカテゴリーで、わたしの夢記を読むことができる。
夢の記録をつけて公開しておくというのも変な話かもしれないから、以下にわたしと夢との話を書いておくけれども、そういう行為を疑問に思わない人は、別に読まなくても一向にかまわない。
2020年から、ユング派の分析を受けるために夢の記録をつけている。
通常、多くの人は自分の見た夢などあまりまともに取りあわないと思うし、分析を受けるようになるまではわたし自身もそうだったのだが、しかし夢日記というのはつけてみると案外面白く、なによりあとあとふり返ってみると、非常に面白いものなのである。
ユング派の分析家たちが夢をどのように扱っているかとか、夢についてどういう考えをもっているかとかいうことは、実はあんまりよく知らない。ユング自身の本や、ユング派の分析家としてはおそらく日本でもっとも有名な、河合隼雄の著作のいくつかを読んではいるものの、わたしのような人間の場合、そういう理屈のほうを先に知ってしまうと、この場合かえって弊害が大きいような気がして(というのは不勉強な人間のいいわけかもしれないが)、ごく簡単な枠組みのようなものを知るにとどめている。
とはいえ、夢と真面目につきあいはじめるとだんだんわかってくるのだが、人の見る夢というものは別にユングの本を勉強したからといってわかるようなものでもないし、そこになにか学問的な正解を当てはめられるというような性質のものでもないようである。トーマス・マンの言葉を借りると、人間のように曖昧なものは曖昧に語るよりほかないというわけで、夢というやつもまことに曖昧模糊として、なんだかよくわからないことのほうが多い。けれども、そのなんだかよくわからないもののなかに、思いがけない真理の輝きのようなものが見え隠れすることもあり、自分自身という人間についての、頭をぶん殴られるような真実を突きつけられることもある。
自分自身の真実を知るなどという作業はだれだって嫌なものにちがいないし、だれしも自分がどれほど頑固で偏った、どうしようもない人間であるかなど知りたくはないわけである。しかしそのどうしようもない見下げ果てた人間に対して、夢という御仁は案外思いやりを示してくれることもあり、なにもそう嘆くには及ばないと言ってくれるようなこともある。非常に容赦がないが、かといってまったくの冷血漢というわけでもなく、叡智そのもののように見えて、まるっきり人間のようでもある。なんだか不思議な御仁であるが、この人は自分がおそらく生涯にわたってつきあいを続けてゆく人であり、くりかえし話をする人であり、どんな関係もそうだが、その人との関係のなかで、わたし自身がまたいつの間にか変容してゆくという、そういう得がたい人のようである。
しかもこの人は、誰のなかにもいる。そして人間がひとりひとりみな違うように、人とその夢との関係も、人によって大きく違うはずである。
要するに、これはわたしとわが夢との関係の記録であるが、どういう因果かわたしという人間に興味をもってくださっている方の暇つぶしにでもなればと思って、ここに公開しておくことにする。
なお、夢記にはわたしのコメントがついていたりするが、2026年時点でふりかえって記入したものもあれば、夢を見た当時のコメントをそのまま載せているものもあり、はじめはどっちかきちんと区別しようかと思ったが、思いのほか面倒なのでやめてしまった。面倒くさがりのすることなので、どうかご了承願いたい。
水澤

