白鳥の研究

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 家のすぐ裏の田んぼは、雪が溶けて大地があらわになるこの時期、北へ帰る旅を間近に控えた白鳥たちの餌場になっている。彼らの一部は我が家の田んぼにいて餌をとっているのであるから、わたしはこれを観察する正当な権利を有すると考え、このところ毎日観察している。以下はその記録である。

 わたしの住む地方には、十一月ごろになると越冬のために白鳥が飛んでくる。稲刈りの終わった田んぼで鳴き交わしたり、くちばしを地面につっこむようにして餌をとったりしている。彼らはベジタリアンで、虫などはあまり食べないそうである。それでよくあの巨体を維持しているものだと思う。白鳥はとても大きいのである。うちのまわりにいるのはオオハクチョウだが、羽を広げると二メートルにもなる。渡り鳥では一番大きいそうである。

 子どものころ、祖父がよく白鳥を見に連れて行ってくれた。祖父の車は四人乗りの白いマニュアル車で、ぎりぎり四人乗れるかどうかというような実に小さな車だった。乗組員のうち、わたしと弟のふたりが子どもだからいいようなものの、大人四人乗るのはどうもおぼつかないような気がした。祖母の大きな尻が無理やり助手席におさまるときには、車はなんだか苦しそうに揺れたものである。白くて丸っこく、鼻が平べったい車で、なんとなく白鳥の頭に似ていた。どういう経緯だったかもう忘れたが、伯母が東京で乗りまわしたあとに我が家にやってきたもので、その時点でもうよほどくたびれていたが、祖父はその車をさらに廃車に追いこまれるまで乗りまわした。

 川をずっと下って行った先に、白鳥の見られる水辺があった。広い水面に白鳥が無数に浮かんでいて、互いに鳴き交わす声があたりに響きわたっていた。百円かそこらで餌を売っており、橋の上から白鳥にまいてやることができた。ビニール袋に入った、やわらかいせんべいを丸めたような餌を手のひらにつかみとって、身を乗り出して水面にまいてやると、白鳥どもはすっと寄ってきて、くちばしをポチャンと水面につけて食べるのである。だがわたしはその餌を買うよりも、途中の店でかっぱえびせんを買って投げてやることのほうが多かったように思う。それなら、白鳥に餌をやりつつわたしも食べることができたからである。それにどうも白鳥のほうでも、いかにも味気なさそうな、なにで出来ているのかわからないような餌などより、塩気や旨味のたっぷりついたえびせんのほうを好んで群がってくるらしく見えた。
 餌をやっていると、白鳥の世界にも、なんだかむやみにのろいのや、やたらにすばしっこいのなどがいることに気づく。すばしっこいのがいつも我先に泳いできて餌を食べてしまう一方で、鈍くさいのはその後ろで、いつまでもなにも食べられないで呆然としている。わたしはいつも懸命に、後ろでぼやぼやしているのろまの白鳥に餌を投げてやろうとするのだが、連中が「おや?」などと思っているあいだに、もうすばしっこいのが来ていて、ポチャンと餌をくちばしに収めてしまうのであった。

 実はこの原稿を書くことを思いつくまで、わたしはその水辺を白鳥のいる湖だと思いこんでいた。実際にはそこに湖などあるはずがなく、単に川の一部なのであるが、幼いわたしは白鳥の湖かなにかの影響で、そこをなにやら神秘的な湖と思いこんだようである。グリム童話に、魔女に白鳥にされてしまった六人の兄弟を妹がもとに戻す話があるが、そうした影響もあってか、わたしは白鳥というものは、夜になって人目がなくなると人間になるにちがいないとも思っていた。
 夜の世界では、人が眠っているあいだ、月明かりのもとでさまざまに不思議なことがおこなわれているに違いなかった。そこでは白鳥が首を伸ばして羽を広げ、ひと声鳴くと人間になる。ネコが話をしたり、タヌキが笑ったり、カエルが得意げに走りまわったりするのだが、人間がふと目を覚まして外を見ると、それらはいっせいに代わり映えのしない、いつもの鳥や獣や虫に戻ってしまうのである。

 わたしは餌をやっている白鳥のうちのどれかが、いつか自分のところへ人間の姿をして訪ねてきてくれるかもしれないと思っていた。あるいはそうでなくとも、この大勢の白鳥のうち、わたしが餌をやり、それを食べたものが、春先になるとうちの近所へ餌場を定めてやってくるに違いないと思っていた。わたしはなるたけ多くの白鳥に餌をやろうと努めた。そうすれば、雪解けのころには近所でたくさんの白鳥が見られるに違いなく、その白鳥どもはわたしを見ても逃げないで、迎え入れてくれるに違いなかったからである。そしてきっと、わたしはそれらの白鳥と一緒にはるか北の国へ飛んでゆけるはずであった。
 わたしはその日を待ちわびた。毎年雪解けのころになり、白鳥たちが近所の田畑へ戻ってくると、わたしは喜び勇んで彼らのもとへと走って行ったものである。そしておどかさないように少し離れたところから、なにか祈るような気持ちで見ていたものである。彼らはわたしをすっかり知っていて、自分たちの仲間と見なしているはずであった。夜になれば、きっと白鳥の使者が人間の姿をしてわたしのもとを訪れ、わたしに白鳥の姿に変わる秘密を教えて、一緒に窓から飛び立つはずであった。そしてわたしは仲間たちとしばし楽しいときを過ごしたあと、遠い遠い北の地へ、大空をかけてゆくのである。
 だが彼らは無情にも、毎年わたしを置いて行ってしまうのであった。田畑から最後の白鳥の一群が飛び立ってしまうと、わたしはまた今年もひとりで残されたのだと思って、なんだか裏切られたような気がし、悲しくなったものである。自分が鳥のように飛んでゆけないことは、わたしにとっていつまでもなにか不当で不可解なことであった。わたしも鳥のように空を飛んでしかるべきであり、わたしは人間というより白鳥の仲間に違いなかったからである。

 白鳥はとても美しい、優雅な生き物である。それがアヒルに似ているなどという身も蓋もない愚かな考えは、幼いわたしの頭に少しも浮かばなかった。だって白鳥は首がすんなりと長く、水の上をすいすい音もなく流れるように動く。純白の羽毛は、いつもつやつやしてきちんと手入れされている。飛んでいるときは、黒い脚をたたんで飛行機のような形になり、羽ばたくと、光を受ける翼の表側はますます白く輝き、翼の裏側は黒く染まって見え、その美しい鮮やかな対比が波のように揺れ動くのが見られる。鳴き声は甲高く、あたりを震わせて空や山へ響き渡る。わたしがどれだけこの冬の鳥を愛しているか、とても言葉では云えないほどであるが、しかし連日の観察によってわたしは気づいてしまったのである。白鳥はたいへんよくアヒルに似ている。
 たぶんわたしが愚かなのに違いないが、少なくともわたしは白鳥とアヒルの相似などということは考えたこともなかった。しゃがれ声でガアガア鳴き、短い足でどたどた動きまわるアヒルと、高くコオコオ鳴き、しなやかに空を飛んでゆく白鳥とが親戚とはとても信じられないが、しかし実際には、彼らは立派な親戚なのである。
 わたしが両者の相似に気がついたのは、白鳥の歩き方を眺めていたときのことである。そのときわたしは、白鳥にどれほど近づけるだろうと思って、田んぼで憩う群れにそっと接近を試みたのである。連中は、二十メートルくらいまでの接近なら平気でいる。それを過ぎると、最初はあたりの気配に特別鋭いらしい数羽が首をもたげ、「ん?」というようにこちらを見てくる。この段階で立ち止まり、よそ見などすると、彼らはまた餌探しに戻るが、かまわず進んでゆくと、「どうもなにか来るようだ」とそわそわしはじめ、それが周囲に伝播して、しまいに群れの全員が首をもたげてそわそわしだすのである。
 だが白鳥というのは、どうものんきな性格をしているらしい。侵入者に気づいても、臆病な小鳥のようにすぐにぱっと飛び立ったりはしないのである。人の接近に気がついた彼らがまずすることは、なんとなしに向こうへ歩いてゆく、ということである。わたしが右手からやってくるとすると、なんとなしに左のほうへ歩いてゆく。田んぼの右側のあぜ道を歩いているとすると、田んぼの左側へなんとなく歩いてゆくのである。これは「逃げている」というのとは絶対に違う。そのような必死さは、この大型ののんき者にはないようであり、歩き方がいかにも「なんとなく自分がこっちへ行きたいから歩いてゆくのだ」という気持ちに満ちているのである。
 あるいは、彼らは優しい鳥で、ほんとうは警戒して向こうへ行くのだけれども、そのように思われては相手に悪いと思って、わざとなんの気なしを装っているのかもしれない。白鳥を毎日見ていると、どうもこちらの可能性のほうが高いような気がしてくる。というのも、彼らもよく人を見ているようだからであり、どうも人の気持ちがわかっているらしいふしがあるからである。

 だがこの話はひとまず措いておくとして、わたしはこのなんとなく逆の方向へ歩いてゆくときの白鳥の動きを見ていて、その歩き方がなにかに似ていると思ったのである。白鳥の足は黒くて、平べったい水かきがついているが、その平べったい足でぺったらぺったら歩きながら、彼らはお尻を左右に振る。右足が前に出ると、右のお尻もつられて前に動き、左足が前に出ると、左のお尻がつられて少し前に出る。人間が歩くときにも、足と同じ側の骨盤を一緒に前に出せば、ちょうど同じような歩き方になるだろう。
 この動きが、わたしになにかを思わせた。少し考えて、わたしは気がついたのである。これはまったくアヒルの歩き方ではないか!
 鳩が首を振って歩くように、アヒルはお尻を振って歩く。アヒルはとても愉快な生き物であり、その実にひょうきんな顔つきもわたしは大変好きである。白鳥の歩き方とアヒルの歩き方の相似に気がついたとき、わたしの頭は必然的に、白鳥の顔とアヒルの顔とを比べる羽目になったのであるが、両者はまったくよく似ているのである。わたしは愕然としてしまった。ほんとうに、わたしがどれほど愕然としたか、ちょっと言葉で云えない。

 家に帰ってから、わたしは鳥類図鑑を引っぱり出してきた。ページを繰って白鳥の項を見、続いてアヒルの項を見た。両者ともに、カモ目カモ科に属していた。わたしはなんだか呆然としてしまって、しばらくものが考えられなかった。

 わたしがこんなに愕然としたり呆然としたりした理由を、わたし自身うまく説明できそうにないし、別に理解を求めるような話でもない。単にわたしが白鳥の湖の幻想のなかに、ずいぶん長くいただけのことだと云うこともできるだろう。わたしが白鳥にあんまり多くあこがれを抱いて、その現実の姿をまじめに見ていなかったのだと云われれば、まったくその通りで、だいたいわたしは昔から、自分の想像の中でばかりものを見て、現実そのものをまじめに見ることのできない人間であることは、いまさら云われるまでもないことである。
 それでもやっぱり、わたしのなかで白鳥の美しさは少しも変わらないのである。今日もまた、わたしは家の裏に白鳥を見に行った。今日は九十羽を超える大きな群れが、ちょうどわたしの家の田んぼの向かいに去来していて、鳴き交わし、動きまわって餌を食べていた。こんなに大きな群れがこのあたりに来たことはなかったと思いながら、二十メートル不可侵の原則を守って見ていると、さらに二羽、三羽と小さなグループがねぐらから飛んできて加わり、百羽を超える大団体がたむろする、にぎにぎしい光景になった。

 わたしは午前のだいぶ長い時間、彼らを見て過ごした。ときどき三羽か四羽のグループが、また新しく飛んできて田んぼに降り立った。彼らはまっすぐに目的地へ降りてしまわないで、あたりをぐるりと旋回し、それから田んぼへ降り立つことにしているようだった。
 その中に、二羽の踊り子があった。その二羽がやってくる少し前から、群れは俄然色めき立って、激しく鳴いたり羽ばたいたりするのが出はじめていた。なにが起きるのだろうと思っていたら、まもなく二羽の白鳥が、優雅にあたりをひとまわりして、群れの中央に降り立った。そして翼を大きく広げ、首を長く伸ばして踊りを踊りだした。あたりの白鳥たちもてんでに立ち上がって首を伸ばしたり、羽をばたつかせたりして喝采を示しているように見え、それはちょうどふたりの美しい踊り子が町へやってきて、待ち望んでいた観客の前で踊ってみせるような光景に似ていた。
 高々と上がる鳴き声や、首を天に向かって伸ばすしぐさ、そして力強く震える羽ばたき、それはなんと彼らの明るい生命を映していたことだろう。シベリアやカムチャツカへの長い旅のあいだ、彼らはそれぞれの中継地で、この踊りを踊るのだろうか。輪になって、声も高らかに、平べったい足で大地を踏みしめて。大空をかけるための力を、いま地上に風を起こす力に変えて。

 そんなことを考えていたら、わたしはいつしか、ねぐらからやってきてあたりを旋回し、群れに加わる連中が、わざわざ自分の頭上をめぐってくれていることに気がついた。彼らは東の方向からやってくるのだったが、同胞たちがたむろしている田んぼのまわりを大きくぐるりとめぐるとき、わざわざわたしのすぐ上を、一列になって、翼をピンと伸ばして通り過ぎ、それからふたたび大きく上昇して、また下降して、地面に降り立つのである。頭上の近いところを通るので、わたしは彼らが通り過ぎるとき、彼らの乗りこなす風を感じ、ブーンという低い虫の羽音のような風切音がすることを知った。
 彼らはいかにも気持ちよさそうに、からかうようにわたしの上を飛んでいった。心から自分の力を謳歌する者の、誇らしげな、明るいのびやかさがそこにあった。真っ白い飛行機型をかたちづくる、ぴんと伸ばされた首と翼、翼の先が刃のように風を切る、そのするどさと力強さ。彼らは翼をまっすぐに伸ばしたまま風をとらえて自在に上昇し、下降し、少し羽ばたいて力を得ては、また自在に風と戯れる。そして地面に降り立ったあとは、もうさっきまで軽やかに飛んでいたことを忘れてしまったかのように、さかんに地面にくちばしをつっこんで餌を探しはじめるのであった。

 鳥の中に、飛行する姿を人間に見せることを好む者がいるのは知っていた。家の杉の木をたまり場にしているカラスの中に、ときどきわたしに自分の飛行能力の高さを自慢しに来る者がある。このカラスは、わたしが庭でぼうっとしていると、わたしと物干し竿とのあいだをわざと低空飛行で通り過ぎたり、高いところからギューンとひと息に下降してくるところを見せたりする。そのあとは決まって家の屋根に止まって、こんなことはまったくなんでもないのだというように、空とぼけた顔でわざとあさっての方向を見たりしているのである。

 わたしはなんだか涙が出た。わたしは相変わらず、地べたを這いずりまわる人間であり、空をかける鳥ではなかった。太くてごろごろしており、手足が短く、白鳥の首や翼の優雅さにはとてもおよばなかった。相変わらず自分の生まれた土地にしがみついており、数千キロを移動する彼らの自由はわたしになかった。いまだシベリアも、カムチャツカも知らず、数千メートルの山々を越えてゆく過酷な旅も、そうした旅の意味も知らない。わたしはいつどこへ行くべきか、彼らのようには知らない。今後も決して彼らのようには知ることがないだろう。白鳥は生まれながらに方角を知っており、自分のやり抜くべき旅を心得ている。わたしにはそうしたものはなにもわからない。彼らの確信は、わたしにはまだはるかに遠いものである。太陽や星を導き手として、遠い遠い地へためらわずに向かうことのできる彼らの勇敢さもまた、わたしにははるかに遠い。
 だがここに、田んぼを貫く農道のど真ん中に、置き物かなにかのようにつっ立っているわたしを、やはり彼らは見捨てないのであった。同じ旅をすることはかなわないにしても、同じ労苦を分かちあうことはできないにしても、同じように空を飛ぶことはできないにしてもである。彼らの羽ばたきを見、彼らの風を感じ、それに比べればどうにも鈍くさい、彼らの地上でのさまをもまた見ながら、わたしははるか昔、子どものころ無心に施した彼らへの施しが、なんだかいまごろになって効いているような気がしたのであった。それはわたしの昔の願いとは、ずいぶん別の形をとることになったけれども、しかしあのころの願いは結局、少しも裏切られてはいないし、彼らはわたしを決して裏切りはしなかったのである。

 以上が、最近わたしが行った白鳥の研究である。こんなものは学問的になんの役にも立たないが、わたしの精神のためには、ずいぶん役に立ったものである。