祖父は昔、出稼ぎで網走刑務所の守衛をしていたことがある。そのときの話のひとつに、便器がわりのバケツに入った自分の汚物をかきまわし、そいつを食べてしまう痴呆の囚人を見たという話がある。
こんな汚い話を持ち出したのは、それを聞いてからというもの、わたしもたまに自分の便を処理するはめになる(しかも大量に)夢を見るようになってしまったからで、今日もその夢を見た。わたしはいろんな色の便を大きな排水口に流していた。あまり思い出したくない夢なのだが、実にいろいろな便を、わたしは雨のあとのように勢いよく流れる排水口に流したものである。
匂いはしない。水の流れる音がしていた。わたしは皿やトレイのようなものに乗っかったのを、どんどん捨てていく。実に気持ちよくどんどん捨てた。汚い夢だが、悪い夢というわけではないのである。
排泄物を捨てる夢だとか排泄をする夢というのはときどき見るが、これの正確な意味はわからないにしても、自分の場合、解放を目指すなにかが自分の中にあると思って間違いないようである。なにかはそのときどきで違うが、出しきってしまいたいなにかが自分の中にあることは、なんとなくわかる。
こう考えると、便秘というのはたいへん苦しい病だろうと思う。出すものを出せないというのはまったく苦しいことのはずで、こういう体質をもって生まれてくることは、大変なことであるにちがいない。
さくらももこも書いていたことがあった気がするが、自分が快便体質だからと調子にのって不摂生をつづけていたら、便秘になってほとほと苦労した、という経験がわたしにもある。わたしの場合は糖質制限というやつをやったら、あっという間に便の量が減って便秘になり、おそろしく苦労する羽目になった。固くなった便が出口をふさいでいて、なにをやっても出ない。しかも間の悪いことに、その固まった便の背後に、いますぐ出たがっている下痢の便が控えているのである。
出たいのに出口がふさがっていて出せないというこの苦しみはちょっと筆舌に尽くしがたく、途中から脂汗が浮いてきて気が遠くなったが、ともかく、人はできるならば出るものは出せる体にしておいたほうがよい。体がつまってしまうと、ほかのものまでつまってしまう。つまらずに出せるということは、非常に幸福なことである。

