凄惨な恐怖

 この夢は、どこかの白人一家の物語であり、家には少女(10歳から12歳くらい)とその父親、それに同居している夫婦がひと組いる。この夫婦が少女や父親とどういう関係なのかははっきりしないが、夫婦はいつも窓際のテーブルに座って、少女を異様な目つきで見てくる。娘はその視線の意味をなんとなく理解してはいる。だがこわいのでなにも言えずにいる。

 ある日、少女がこの同居人夫婦の部屋に入っていくと、夫のほうが、ベッドの上で血まみれになって死んでいた。妻が殺したのである。妻はベッドの前に立って、夫の死体を見下ろしていたが、ふりかえって、少女をあの異様な目つきで見る。少女はおそろしくなり、あわてて部屋を出てゆく。すると父親が部屋の前で待っていて、いますぐ逃げようと言って娘の腕を引く。少女はついていくが、なぜか父親は廊下の左手にあるドアの前で立ち止まり、ドアを開けて、そこにあったベッドに転がる。そして少女をセックスに誘うのだ。
 少女は拒否する。父親は嫌がる少女の腕を引いて、大丈夫だからおれの上にまたがれという。だが少女は猛烈に首を振って拒否する。父親は怒った様子もあせった様子もなく、ただおれの上にまたがるんだと言いつづける。勃起した股間が目に入る。そして少女はふと、父親の転がっているベッドが血まみれであるのに気がつく。少女の顔が凍りつく。そしていつも自分の身のまわりに漂っていた異様な空気が、なにによっていたのかを理解したような気がする。少女は父親の腕をすり抜け、ドアを閉めて出ていく。

 これはとてもこわい夢である。こういう夢はできれば見たくないが、この夢の恐怖の背後には、ずいぶんいろんなものがあって、たとえばこのころ、近所のどこかの家が犬を飼いはじめて、その犬が一日じゅう吠えまくっていて非常に迷惑していたということがある。
 だれでもひっきりなしに吠えている犬の声などいやに決まっているが、この当時住んでいたあたりは非常に静かなところで、夜は物音ひとつしなくなるようなところだった。それでよけいに鳴き声が響き、しかもわたしは物音に非常に敏感なところがあって、住まいというものにずいぶん苦労した経験があったので、連日の犬の鳴き声でほとほと参っていた。

 音の恐怖、というより都合の悪さというのは、非常に大きいものがある。目をつぶれば見えないし、鼻をふさげば臭わないが、耳をふさいでも、音というのはそう都合よく聞こえなくなってくれるものではない。否応なしの存在という意味では、音は一番どうしようもないしろものであるかもしれない。気にしなければ気にならないなどと簡単に言う人があるが、もともといろんなものが気になる人にとって、音というのは一番最後に控えているラスボスみたいなところがある。こいつをなんとかすることができれば、おそらく人生は上がりということになりそうにも思うが、最近その上がりの手がかりをわたしにくれた人があった。それがなんとアメリカ人の女性で、金髪の美しい人なのである。

 その人はヨガの講師で、仏教に造詣の深い人だった。わたしのことなので、実際に会ったということではなくて、本を通じて知ったというだけのことだが、彼女の本を読んで、音というものに快不快の判断を与えるのは自分であること、もっと言えばなにごとも判断をするのは自分であるということを、体をとおして理解する方法を学んだように思った。

 わたしの叡智の象徴は、夢のなかでもなぜか金髪の女性なのだが、この金髪の女性というものが、こういうおっかない凄惨なものの背後にもぬかりなくひそんでいて、あるいはこうした凄惨さも生々しい欲望もすべてひっくるめて通過してはじめて、叡智というものは真実になるようにも思う。この夢を読み返してみて、いまは父親の横になっているベッドが血まみれであることの意味も、昔よりはいくらか理解できるようになった気もする。以前ならいやな夢というだけで終わっていたこの夢の、父親が横たわる血まみれのベッドに、いまは生命のはじまりを感じさえする。それは痛みに満ちたものであるし、おそろしいものでもある。だがその痛みとおそろしさとを要求しているものがなんであるか、そしてそれを経験することの意味がなんであるか、夢が教えてくれるということもある。