都会のドラゴン

 田舎の農夫にふたりの息子がいたが、この農夫は愚鈍な長男を農家のあととりに決めて、次男を都会に出し、よい仕事に就かせようと、彼にすべてを注ぎこむ。農夫には誰でもなることができるが、都会でよい就職先へつけようとなったら、たいへんな猛勉強をさせなければならないとこの農夫は考えている。長男は毎日田畑へやられて放っておかれ、次男は毎日父親がつきっきりで勉強させてやり、必要なものはなんでも買い与えられた。
 やがて次男は都会へ出て、巨大なビルを有する一流企業に就職した。だが、そこへ巨大な灰色のドラゴンが攻めてきて、街は火だるまになり、次男の会社ビルの前にドラゴンが陣取ってしまった。次男は何人かの仲間を得て、ドラゴンを退治しようと奮闘する。この次男は、父親の影響をあまり被っておらず、誠実で感情豊かな男に成長しているのである。彼は自然仲間内のリーダーのようになり、何度も髪の毛や肌をドラゴンの吹く炎で焦がしたりしながら、ドラゴンに立ち向かってゆく。

 愚図な兄貴にしてみれば、ドラゴンになって弟のいる都会をぶっ壊してやりたいと思うのも無理はないし、ひょっとするとこうなってしまったのは父親のせいかもしれず、また弟が少々出来すぎた男であることも不幸なことだったかもしれないが、弟から見ると、兄貴は生き馬の目を抜くような都会の大企業の競争とも無縁で、ほんとうは誰にでもなれるわけではない農夫となり家業のなかにとどまって、両親の面倒を見てくれるわけだから、それをありがたいと思いこそすれ、愚図な無能の兄貴だとは、たぶん考えたこともないのではないかと思うのである。

 父親にしても、これは長男がどういう男であるか、また次男がどういう男であるかをよくわかったうえでの教育方針であったかもしれず、ぼんやりの長男というものは案外放っておいても自然のなかでひとり勝手に育つけれども、そしてまたそのほうが本人の気質にも合い、当人を尊重することにもなるのだけれども、きびしい社会に出てゆかねばならない次男にはそれなりの教育が必要で、それは父親ひとりをしてかかりきりにさせるほどの大事業なわけである。
 しかも弟のほうには物理的な投資も必要で、兄貴が母なる自然のなかで、だまっていても育めるものを育んでゆくのとは対照的に、弟には実にいろんなものが必要になるわけである。これほど途方もない投資をしてはじめて、弟は都会で稼げる男になり、世に出しても恥ずかしくない男になるわけだ。

 ここまで考えると、この兄貴というやつはたいへんな幸せ者で、なにも自分が弟に比べて冷遇されているとか、いろんな怨みをつのらせなくてもよかったのではないかと思うが、しかしそのことに気がつくまでに、兄貴はやっぱり火を噴くドラゴンになって、弟を急襲し、その世界をぶっ壊してやるとまで思いつめなければならなかたのだろう。それも当然の人情である。

 弟は社会的な評価を得やすく、評判も得やすい。生き方がわかりやすいからである。ところが兄貴のよさがわかるには、それに親しく接してみなければならない。ここが兄貴のつらいところで、弟のようになりたいと思うと、この兄貴はとてもつらいだろう。この兄貴は、せいぜい母親や弟からの感謝で満足しなければならないかもしれない。生涯一介の農夫で終わるかもしれないが、しかしほんとうにドラゴンになれるのは、やっぱりこういう男である。