聖娼

 国際女性デーだそうだが、なんの因果か『聖娼』という本を読みはじめたのである。

 ここ最近、なぜかアマテラスのことが頭に浮かび、そのたびになぜかアメノウズメのことも頭に浮かび、古事記を読んだり河合隼雄による古事記の解釈書を読んだりしていたのであるが、わたしが日本人である以上、わたしが女であるということは、第一にアマテラスであるということを意味しないか、などと考えていた。河合隼雄はよくはっとするようなことを云うが、アマテラスが天の岩戸に閉じこもってまた出てきたときに、彼女はアメノウズメ的な力を、神がかりして踊り、陰部を見せて神々の笑いを誘うような女の力をとりこんで再生してきたことになりはしないか、というようなことを書いていた。

 確かにこれ以前のアマテラスの記述を読んでいくと、そこには心優しいがどこか生硬な、神経質なひとりの女がいるように思われる。この女にはやわらぎというか安定感というか、そういうものが欠けていて、武装姿で勇ましく弟を迎えたり、そうかと思うと逆に彼のすることをみんな甘く許してしまったりして、なにか決定的な芯というか軸というか、そういうものを欠いているように見える。
 天の岩戸にこもる前に、アマテラスは性的な侵入を経験し、暗がりに引きこもってしまったと河合は見るわけだが、それを経てアマテラスはもう一段パワーアップして出てきた、というわけである。

 その河合の著書に『聖娼』という本が参考文献として紹介されていて、これはどうも読むべきだという気がしたので注文したが、古書でなかなか届かないので、届くのを待っていた。国際女性デーなる日に読みはじめることになったのも、皮肉と云えば皮肉である。その本はわたしを打ちのめしたが、読んでいるあいだじゅうずっと涙が止まらなかったことを鑑みるに、ここにわたしの女性性なるものが、全身全霊をかけて殴りこみをかけてきたといった様相である。

 この本を一日かけて読み終わったという経験を、言語化しようと思えばいつものようにできそうに思われる。が、それは言語化すべき領域に属していないようにも思われる。河合隼雄がユング研究所に留学していたとき、女性の分析家に分析を受けることにずっと抵抗があったが、あるとき夢の中で、彼の女性分析家が全身光り輝く姿で現れ、それ以降河合の女性に対する考えは変わっていったそうであるが、その光り輝く女性というイメージ、黄金の女神のイメージが、結局のところ、わたしがこの本を通じて経験したヴィジョンであるようにも思われる。