鈴木大拙の『禅』をふと読みはじめたのだが、昨日の今日で非常によくわかることが書いてある。
問いを解くとは、それと一つになることである。この一つになることが、そのもっとも深い意味において行われるとき、問う者が問題を解こうと努めなくとも、解決はこの一体性の中から、おのずから生まれてくる。そのとき、問いがみずからを解くのである。
問いは問う者と分離されてはならない、知性はいたずらに問いを発するだけで、それに答えてはくれず、無限の分離を生むばかりであると鈴木は書いている。ところが自己のもっとも深い本質まで下りてゆき、そこへわが苦闘を持ちこめば、問いはその深みの優しい揺籃の中において、自然に解きほぐされる。

