わたしは伯父の書斎らしきところにいる。わたしは伯父と向かい合って話をしていて、伯父はわたしに自分の本棚を見せてくれ、自分が参加しているという文芸同人誌をわたしに見せてくれるのである。
その同人誌は横長という、雑誌としては変則的な形をしている。灰緑色の表紙にはグラシン紙がかけられていて、和綴じ製本という大変凝った装丁である。ページをめくると、いかにも素人が作るような同人誌ではなくて、非常に内容の濃い、質の高い同人誌なのである。
伯父はわたしにその同人会に入ったらいいと言い、わたしも是非とも参加したいと言って、どうやったらこの会に入れるかと訊ねた。ほかにもいろいろ伯父に訊ねた気がするが、伯父はおまえがそんなことをやる必要はないから、わたしの母にやらせたらいいという。わたしの背後には確かに母がいて、わたしは母と伯父に囲まれ、伯父の書斎にいて、たいへんな喜びでいっぱいなのである。
わたしは生きている人より死んでいる人と交わるのを好む傾向があるが、伯父の入っているという同人会も、どうやらあの世の人たちで成り立っているらしく思われる。江戸時代の人が細筆で描いたような奇妙な絵などが入ったあの同人誌は、どちらかなどといわないでもこの世の問題を扱っている本ではなかった。小さな冊子であったが、もっと大らかに大きな精神のもとに営まれているその同人会に、ついに伯父が招待してくれたかと思うと、平田篤胤が夢で本居宣長の弟子になったときのようなうれしさを覚える。
平田篤胤は、死後は本居宣長のもとへ行って、宣長先生とともに花を楽しみ、酒を飲み、大いに愉快にやりたいと書き残している。もしも外国が日本へ攻めてきたらば、自分が真っ先に武器を携えて敵の前に踊り出、この国を守るために戦うのだとも言っている。彼の希望は死後にあり、彼の本番も死後にある。わたしも人間の本番は死んでからだと思う。だから平田篤胤のとらえた死後の世界と現世との親密な関係に心から共感するが、その世界では、母なる者がすべてを知っていて、母なる者の善なるはからいに安んじて身を委ねているとき、すべてがうまく回るようにできているのかもしれない。

