出られない養老院

 美しい庭をもつ養老院に、ひとりの老女がいる。その老女はベレー帽をかぶり、黄色い丈の長いニットのカーディガンを着ていて、長く伸ばした髪はほとんど白髪ばかりで、腰が少し曲がっている。

 その老女は、養老院に気楽な気持ちで入ってきた。しかしのちになって、実はそこから出られないことが発覚した。彼女がどこかへ行こうとすると、とても親切そうな職員が必ずやってきて、彼女をなだめすかし、どこにも出て行かれないようにする。彼女は実は絶えず見張られていて、にこにこした親切そうな職員たちは、世話を焼きながらも彼女を監視しているのである。

 わたしはいつの間にか自分がその老女であることに気がつく。養老院の庭は美しく、大きな円形の水盤が置かれていて、水を噴き上げている。そこはほんとうに夢のように美しい場所であるが、老女はここにいていいのか、自分はどうしても出て行かれないが、しかし出たいし、出たほうがいいのではないかなどと思っている。
 彼女の前に、実はわたしの親戚の婆ちゃんがひとりそこに入っていた。その婆ちゃんはもう何年も前に亡くなったが、彼女も同じようにそこに閉じこめられていたのである。その養老院は安くない。金がかかっていて、世話も手入れも行き届いており、たいそう美しい養老院であるが、しかし婆ちゃんもそこから出られなかったのである。

 以前あることから、この親戚の婆ちゃんはヴィクトリア朝時代に生きていたのだなと思ったことがあった。その時代には、性に対して社会が全般におそろしく厳格であったので、女性は自分の性器を生涯まともに見ることもなく、そこに何があるのかも知らず、ただ生殖という必要に迫られて夫と事を済ますためだけに、その部分を使った、というような解説をどこかで読んだのである。

 子どもがいることと、性について知っていること、ましてそれを消化し受けとめるなどということとは、すべて問題がまったく別で、それぞれにまったく別の事象であるというようなことを、この婆ちゃんを通じてわたしは理解した気がする。黄色というのはなにか主張の激しい色である。絶対に消せない色だとゴッホが言っていた気がする。その黄色の丈の長いカーディガンを来た老女は、髪を伸ばした、穏やかそうな顔の老女は、いったいその黄色によって、なにを主張したいのだろう。