ここ数日、『トリスタンとイズー』の物語を読んでいた。騎士トリスタンとアイルランドのイズー姫が、間違って強烈な愛の媚薬を飲み交わしてしまい、そのせいで様々な悲劇に見舞われながら、死ぬまで互いに恋い焦がれている物語で、これを西洋中世の人々がどう受けとめたかという解説が非常に面白かった。
異性に対しては、わたしもせいぜい淡いあこがれを持ったことがあるかどうかだが、この淡い乙女の憧れというのが、12世紀はじめの西洋人が思いつくほとんど唯一の愛の表現だったことは、非常に面白いと思う。彼らはまだ淡い乙女の恋心か、あるいは一方的な思慕である貴婦人崇拝という極端な愛をもっているにすぎず、そこへケルトの世界から、熱烈な恋愛譚であるトリスタンとイズーの物語がやってきて、これが人々を驚愕せしめ、熱狂させた……というような内容である。
同時進行で、中世の学者アベラールとエロイーズの往復書簡を読みはじめた。アベラールは広く世間にその名声が知れ渡っている学者で、エロイーズはこれまたその博学と、学問をよくすることで知られた女性である。アベラールはあるときエロイーズの噂を聞き、彼女に学問を教えに行って、結局は恋愛関係になる。男女が互いに愛しあうとはすなわち肉欲の満足であった時代に、エロイーズは数々の苦難を経てアベラールへの愛という感情を見出し、現代に通ずる精神的な、人格的な愛というものを発見してゆくのだが、愛という現象も普遍的なものでなく多分に歴史的なもので、発達の段階を経ているというのが非常に面白い。まったき知とまったき愛とをともに経験したエロイーズから教わることは多そうである。

