体への償い

 最近はじめた陰ヨガがとても面白いので、もっとよく理解してみたく思って本を買った。それが今日届いたが、叡智がつまっているような本だった。著者はアメリカ人の女性だが、いきなり中国の陰陽思想と経絡の話からはじまり、陰ヨガというのは単なる長いストレッチではなくて各種の経絡を活性化させるものだと言い、それは体と一体化して静かに内観を深める静的な運動であるから、必ず動的な陽のヨガを行ってバランスをとらねばならないことを説いていた。

 この本には内観を深めるための呼吸法やいくつかの手引きがついているのだが、それがとてもよく、痛みを不快として退けるのではなく、避けがたい生の一部として受け入れること、体の感じる快と不快との別を、最終的には価値判断を超えてどちらも受け入れることなどを説いていた。

 それでわかったのだが、幼少のころ自我意識が芽生えたとたん、わたしにとって体は痛みや不快を訴え不安を呼ぶなにものかとなり、自分の一部のようだけれどもどうしたらいいのかわからない代物になった。この自覚はずいぶん早くからあり、保育園に通っていたころにはすでに、わたしは自分の体をどう使うのかわからないという、思考と体の分離状態に陥っていた。それで体を使うことをおそれ、避けるようになり、走ったり運動したりすることを嫌って、体を動かさなくなった。小児喘息があったことも大きいが、ともかくわたしは体になにか違和感を感じると、とたんに猛烈に不安になる傾向がある。これは非常に強い衝動だが、この衝動を前にただじっと座ってそれを眺めるという苦行のような行為が、長年の体に対する不信と蔑視への償いになるかどうか。