外へ出られない

 古い民家が舞台だが、その家には知り合いのひとりと自分が一緒に住んでいて、毎日出かける前に、知り合いは二階から降りてきてわたしをせまいトイレに閉じこめる習慣になっている。トイレは長い土間の一番奥にあり、和式のいわゆるボットン便所である。知り合いは毎日わたしをトイレに押しこみ、外から鍵をかけて出ていく。わたしは完全に閉じこめられて出られないと信じていて、トイレの中でただ立って知り合いの帰りを待っている。

 そのうちに、どうしても外へ出なければならない用事があったのに閉じこめられてしまったということがあって、わたしは試みにトイレのドアに体当たりしてみた。ドアは木枠にガラスがはまった薄っぺらいもので、体当たりしていいものかどうか心配になるほどだったが、ドアはあっけなく開いた。外に出て見てみたら、ドアにかかっていたのは鍵ではなくてただのあおり止めで、わたしはなんだと思い、外に出て、どこかへ出かけた。

 くみ取り式の和式便所を使っていたことのある人ならわかると思うが、あの和式便所というやつは、部屋の中央に大きな穴が開いていて、そこへ便器がしつらえてある。あの穴は、とりわけ子どもの時分にはずいぶん怖いものだった。しかし恐怖というのは不思議と人を惹きつけるものでもあって、おそるおそる真っ暗な穴をのぞいて、ずいぶん長いこと眺めたりもした。

 便所に閉じこめられるのはいやだが、ほんとうにいやかと訊かれると、どうもいやではないかもしれないと思えてくる。いつだったか、もうだいぶ前の話だが、友だちのいない生徒やいじめられている生徒などが、昼休みになると学校のトイレに隠れて、ひとりの時間をやり過ごしているという話が話題になったことがある。全国でそういう事例があったということは、トイレに隠れる、というよりこの場合逃げこむということに近いかもしれないが、ともかくそういう行為は、なにか人間の奥深いところから生じているもののように思われ、トイレというのは一種の聖域の役目を果たしているにちがいないと思ったことがあった。

 逃げこむからには、そこが安全だと思うから逃げこむので、そこにいると自分が守られていると思うから逃げこむわけである。学校は公共の場でどこもかしこも他人だらけなわけだが、トイレの個室だけは、自分がそこへ入って扉に鍵をかけてしまえば自分ひとりきりの場所なわけで、この安心感は、子どものころ布団のなかへもぐっていれば悪いものに襲われないと思っていられた、あの感じにとてもよく似ている。
 現代の住宅はきっとみんな明るいだろうから、夜になれば真っ暗でおっかないということもないだろうと思うが、子どものころ暮らしていた古い農家あたりだと、もう便所も寝室も、昼間でもどこか薄暗いわけである。明かりというと天井に裸電球がひとつあるきりで、それがなんとも頼りない明かりしか供給してくれないので、部屋の四隅なんかいつも暗いのである。で、案の定その暗がりにはなにかがいて、わたしはそいつと浅からぬ関係をいつの間にか結んでいたわけだが、その暗がりお化けは家にいつもいるから別にこわくない。特に悪いこともしないし、ただこの家に住んでいるだけのことで、ひとりして大きくなったり小さくなったりして遊んでおり、それ以上のことはしなかった。

 ところが夜になり、寝るために布団に入るようなことになると、もうあたりは真っ暗で、窓の障子に、家の裏にある木がゆらゆら揺れている影が映ったりなどして、もうそこらじゅういっぱいに、いろんなお化けがうようよしているのである。おっかなくて仕方がないが、しかしあったかくて暗い布団のなかにしっかり潜っていれば、そういうお化けも手出しができない。そうこうしているうちに眠ってしまって、朝になるともう変なお化けはみんないなくなっており、四隅の暗がりお化けだけが、いつものようにそこに小さくなってうずくまっている。

 そういう子ども時代を過ごした人なら、布団のなかや便所の暗がりに、いつまでもなにか変な思い入れがあるのではないか。便所に閉じこめられて出られないとは、なるほど不便ではある。悲しいことでもある。だがそこに閉じこめられているということは、少なくともそこにはいていいのであり、そこにいるかぎり、どうやら身の安全は保証されている。日がな一日ボットンの穴を眺めて過ごしたとしても、わたしは案外楽しくやってゆけるような気がする。というより、別にそれ以上のなにかをわたしは求めていないので、四隅の暗がりお化けともなかなか愉快にやってゆけるし、いざとなれば裸電球もつくし、トイレに行きたくなってもそこにある穴に向かってやるだけだし、必要なものはもうあらかた全部あるような状態である。そういう人間をこの安楽の便所から引きずり出すというのは、よっぽどのっぴきならない理由にちがいない。そののっぴきならない理由がなんであれ、この夢の主人公はトイレの扉を破って外へ出てしまった。光のなかへ出て、四隅の暗がりお化けや、ボットンの穴の中にいるなじみのやつを置いてきてしまった。なんともえらいことをしてのけたものである。