婦人科の関係でMRI検査を受けたのだが、わたしがあのせま苦しい白い機械の中に入っているあいだ、菩薩ともアマテラスともつかぬあの女性がわたしの手を握ってくれていた。彼女はわたしのためにたくさんのことを話してくれ、たくさんの歌を歌ってくれたのだが、そのほとんどはもう忘れてしまった。だが彼女のかぎりない大慈大悲はわたしを圧倒し、わたし自身の肉体がどのような状態であろうとも、わたし自身がこの地上でどのような目に遭っていようとも、そのようなことは本質的な問題ではなく、彼女の与えたもう無限の恵みは常に生きてそこにあることを、ただ生命のあるところ、そこに彼女のいることをわたしは感じていたのである。腸の動きを弱めたりなんだりするためにあちこちに注射され、体を拘束され、一時的に生物としてまったく不自然な状態に成り下がったわが体であったけれども、そのような状況は少しもこの尊い女性の慈悲をさまたげないのであった。
わたしを支えてくれた存在は、中宮寺の菩薩だったらしい。この菩薩は頭にこぶのようなおだんごのようなものがふたつあるが、わたしの菩薩アマテラスも頭にこぶのようなおだんごのようなものがふたつある。それは結った髪であるのだが、この中宮寺の菩薩が、わたしの中で不滅の生命を歌い上げる菩薩そのものであるのは、非常に興味深い。
そしてこの菩薩はおそらく観世音菩薩で、観世音菩薩はもともとインドの土着の女神だった可能性があり、ペルシア神話の水の女神アナーヒターとも関連があるという。生命の源泉である水を司るこの女神は、健康、安産、豊穣などをもたらす神として、ササン朝ペルシアでは絶大な崇拝を集めていたらしい。その頃に作られた壺に、この女神の姿が彫られているのだが、中宮寺の菩薩像ととてもよく似ている。
どうも人の心の奥底には、このような姿の慈悲深い女神がいて、豊かさを歌い上げ、地上のすべてを祝福しているのではないかと思えてくる。自身の魂がそこへ接続されたとき、この世界は驚嘆すべき多様性と豊かさを兼ね備えた、例えようもなく尊い場所になる。

