関係というのは不思議なもので、わたし自身が非常にゆっくりして自然にふるまっていられる関係と、わたし自身が硬直して少しもうまくゆかず、なにもかもぎこちなくなってしまう関係というものがある。
そのぎこちなさを生むのはわたし自身であって、自分などまったくゴキブリのような気がしてくる人というのもいるが、それはわたしがわたし自身をゴキブリの身分に磔にしているからであろう。人は自己を幾たびも磔刑に処することができるし、それをしてやまないまま生涯を終えることもできる。
わたしは自己を磔刑に処することがある意味で好きである。それはキリストのかけられた磔刑とは似て非なるものであるから、一種の錯誤に陥っていることであり、悪魔の所業なのであるが、自己を悪魔に渡してやまない自己の部分というものがあるものだ。神が注意深く見つめているのは、わたしの神的な部分ではなくて、そういう悪魔に犯された部分なのである。

