数の力

 わたしは世の中と少しも足並みがそろわない人間だが、自分のやり方を変える気もないし、それでなにか問題が起きたときには、あくまで自己というものを盾に戦い抜く気がある。そういうものがなにもない、ただふらふらと人の顔色をうかがいながら行動し、その責任をとるつもりもない、そしてそのくせ人と同じことをしているということで気を大きくして安心している、そういう人たちもいるものだが、そういう人たちの人生というのはいったい何なのだろう。そこになにがあるのだろう。なにが悲しくてそんな生き方をしなければならないか?

 確かに、少数派というのはただ少数派であるということだけで、まことにさびしく、悲しいものである。少数派であることは往々にしてその人の気質の問題で、その気質というやつは自分で選んで生まれてくるわけにいかないものであるだけに、問題はややこしくなり、人によってはひどく悩む羽目にもなる。いまはいろんなものが数字で見えてしまうだけ、よけい数の力というものによる圧力を受けやすいのだが、だが数にわたしの魂が負けるだろうか? そういうものにいやしくも人の霊が道を譲っていいものだろうか。このようなことを考えるにつけ、なにやら深刻な懸念に襲われる。

 ところでわたしという人間の孤独やら孤立やらについてであるが、これについては神がご存じで、その意味も意義もよくご存じであるから、わたしが悩むには及ばないのである。この地上のわたしはうじうじと悩んでいるかもしれないのだが、地上のわたしが悩んでいるからといって、わたしの霊が悩んでいるというわけでもないのである。
 霊はむしろ笑っているということがあるかもしれず、そういう可能性まで考えてみると、わたし自身、笑っていられるということもあるわけである。