わたしはどこかのオフィスビルの中のようなところにある、長い長いエスカレーターに乗って上へ昇っている。ビルはガラス張りで、外は曇り空のようだが、壁一面のガラスのおかげであたりは明るい。吹き抜けの高いビルの中を、エスカレーターは四角く回りながらどこまでも上へ行く。
わたしの横にはおかっぱ頭をした3、4歳くらいの女の子が乗っていて、わたしはその子の手を引いて一緒にエスカレーターに乗っているのだが、その子は3、4歳とは思えぬような大人の声と話し方をする。顔は岸田劉生の描く麗子像のような感じで、なんとなく不気味な感じある。
わたしは胸に数冊の絵本を抱えているのだが、その絵本はみんなその女の子が書いたのである。その子は非常に落ちついた大人の声で、わたしとその絵本のことを話している。わたしはその絵本がとても好きなので、著者に会えて感動しているのだが、その女の子は見た目に反して、なにか深い知恵を持っているように思われる。子どもなのに、どこか年老いた老婆のようでもある。わたしたちは手をつないで話しながら、エスカレーターでどこまでもぐるぐる昇ってゆく。
岸田劉生はまったくノーマークであったが、ちょっと調べてみただけでも、親近感を抱かざるを得ない人物である。日本の画家がこぞってフランスの印象派に夢中になっているときに、ひとりデューラーの影響を受けた神秘的で重苦しい絵を描いているあたり、まったく尊敬に値する。この人はキリスト教徒で、牧師を目指していたことがあるという。
「深く写実を追求すると不思議なイメーヂに達する。それは『神秘』である」などと書くあたり、我が意を得たりと膝を叩きたくなる。ドイツの影響を受けているというのもよい。
麗子像に似た夢の女の子は、そんな事情を伺わせるような重く神秘的な女の子であった。その女の子が絵本を書いているのである。その内容を、わたしは知っていそうな気がする。

