フォークナーの『響きと怒り』を読みはじめる。フォークナーは白痴をもっとも神に近い存在として考えていたようだが、わたしには、乞食が一番神に近い存在に思える。乞食と白痴のあわせ技というのもあるが、『カラマーゾフの兄弟』のなかでは、スメルジャコフの母イリヤがそうだった。ロシアにはこうした佯狂者と呼ばれる者たちの長い伝統があり、死後列聖された者もいる。
わたしはどれほどこうした存在になれたらと過去に願い、いまも願っていることだろう。倉田百三の『出家とその弟子』のなかで、托鉢僧をしている親鸞の放った言葉が忘れられない。
左衛門:渡世ができなくなりはいたしますまいか。
親鸞:できないのがほんとうなのです。善良な人間は貧乏になるのが当然です。あなたは自然に貧しくなるなら、しかたがないから貧しくおなりなさい。人間はどのようにしてでも暮らされるものです。
そういえば倉田百三はわたしと同じ誕生日で、なんだか他人と思えない人である。

