ひとりの女が、背中にかごを背負って、峠を越えるために登っていく。長い黒髪を背中でひとつにまとめた女は、百姓女のなりをしているけれども、顔立ちは気品にあふれていて、なにか家柄や由緒のようなものを感じさせる。
女が峠をとぼとぼ歩いていると、ふたりの貴族らしい男があらわれる。男のひとりが、女に自分の家に来るようにと云う。だが女が首を振って足早に立ち去ろうとしたため、男たちは女を引きとめ、小突いたり、叩いたりしはじめる。
そこへ百姓男が通りかかる。ほっかむりをし、女と同じようにかごを背負った男は、女がいじめられているのを見つけると駆け寄って、地面にひれ伏し、どうかこの女の代わりに自分で勘弁してくださいと言う。貴族の男たちは百姓男をののしり、蹴ったり叩いたりするが、男はじっと我慢している。やがて貴族たちは疲れてきたらしく、鼻息も荒くその場を立ち去る。
百姓男は立ち上がり、女がひとりなのを見て、一緒に歩きだす。峠をのぼって、道の途中までくると、早や日が暮れてきた。男は女に、どこへ行くのか、連れや家族はいないのかと訊くが、女はもじもじして答えにくそうにしている。そこで男は、もう日も暮れるから、今晩は自分の家に泊まるように言う。女はためらい、躊躇するが、男は誓ってなにもしないからと約束し、女を自分の家に引いて行く。
男は山中の寂しい土地でひとり暮らしをしていて、家は貧しく質素だが、汚らしい感じではない。簡単な食事を済ませ、炉端でぼつぼつ話をしたりしているうちに、男は誓いを立てたものの、やっぱりなにもしないというわけにいかなくなる。結局女はそこに居ついてしまい、三人の子どもを産む。
前の夢の記事でラフカディオ・ハーンの言葉を紹介したが、この夢を見て目覚めたとき、真っ先に小林正樹監督の映画「怪談」のなかの「雪女」を思い出した。道の途中で男と女が出会い、女が男の家に居着いてしまって、三人の子どもを産む、というくだりはまったく同じである。子どものころ、昔話の朗読を収めた子ども用のテープがあって、その中に「雪女」の話もあった。語りが妙に耳に残って忘れられないので、くり返し何度もその話を聞いた。特に、正体をあらわした雪女が、「ほんとうは、約束をやぶったおまえを殺してしまうところだけれど、やめておこう。子どもたちがかわいいから」と言って、吹雪の音とともに去るシーンは、なぜか何度聞いても飽きなかった。
「雪女」の昔話は、研究者のあいだではラフカディオ・ハーンの創作であるということで決着がついているようである。わたしと雪女との因縁の話をすると非常に長くなってしまうが、北国の豪雪地帯の生まれであるこのわたくしとラフカディオ・ハーンとは、どうも同じものを見たようである。吹雪の中にいる同じひとりの女を、わたしもハーンも見たようである。この女はのちに、ある種宿命的にわたしの前にあらわれるが、それはずっとあとの話である。

