女性ホルモン

 二日ほど前から、生理日をずらすためにピルを飲みはじめた。おかげでまったく気分がおかしい。エストロゲンが少々多めに配合されているピルがわたしの気分をおかしくし、わたしを落ちこませているが、しかし夜半にふと思いついて、ものを書くために机の前に腰を下ろそうとしたとき、その見慣れた机とPCとを見たとき、わたしは心底安堵し、自分の救済はもう一切合切この中にしかない、書くことの中にしかわたしの救いと、わたしを正気に保つものはないと思った。人は些細なことで足もとをすくわれ、存在を脅かされるが、言語によって自己を表現できるということ、それも余すことなく表現できるということは、なんという恵みであろうと思う。

 『吸血鬼ドラキュラ』のなかに、ドラキュラ伯爵の城に呼ばれた弁理士のジョナサン・ハーカーが、城に閉じこめられているあいだ、日記を書くことが自分の正気と平静とを保つのに役立つことに気づいて感動しているシーンがある。

 シェイクスピアがハムレットに言わせた次の言葉の意味など、今の今まで、まるで自分にはわからなかったのだ。

「書くものをくれ、早くくれ!
書くことが対戦なのじゃ」
――平井呈一訳

 不思議なことだが、わたしはわたしの理性というか、男性性を信頼しはじめているのである。ついこないだまで、こいつはわたしの冷たい支配者であったが、いまはこいつを信じはじめているのである。これがわたしの支えであり最後の砦でもあると思いはじめており、どうもその信頼は、以前とはだいぶ様相が違っていて、たとえば女性ホルモンの変動のような非常に女性的な現象に苦しめられているとき、わたしはそのわたしの中の男なるものが、わたしにそのたくましい腕を伸ばし、わたしを支えているのを感じる。わたしはこの男そのものではないが、そうでないがゆえに、それにしがみつく権利を有しているのである。もしわたしがこの男そのものであれば、わたしはこのようにしがみつくことなく、みずからの力で立たねばならなかったろうと思う。

 男でありながら男性的になれないものは不幸だろうと思う。同時に、女でありながら女性的であることをみずからに許すことができない者も不幸であろうと思う。わたしはまだこのほうの研究に取りかかったばかりだが、なにかそうしたことをひしひしと感じるのである。いま自分の感じている気分の乱高下は、そうしたことをつくづくと感じるための苦しみではないかなどと思ったりする。わたしの女はいま外的な力によって不自然に虐待されているので、わたしの男を呼んでいるのである。