紙を探しつづける

 わたしは高校の体育館にいて、全校集会かなにかで神道に関する発表をしようとしている。わたしのほかに何人かの生徒がグループでやっているのだが、なぜか下調べから発表までみんなわたしがやることになってしまう。しょうがないので、わたしは教室でやっつけのように本を読みながら、A4のコピー用紙に発表用の原稿を鉛筆で殴り書きする。

 発表会の日が来て、わたしは体育館に入り、担当教官のT(小学校のとき担任をしていた女教師)にコピー用紙を預ける。発表会は着々と進み、わたしたちの番が来る。ステージの傍らに控えているブラスバンドが、わたしたちのグループの発表のために用意された曲を演奏しはじめる。わたしはTのところへ行き、コピー用紙を渡してくれと云うが、Tはなんと用紙を書類ケースの中にしまいこんで、どれだかわからなくしてしまった。これでは発表がはじめられない。ブラスバンドは戸惑いながらもどんどん曲を先に進めている。ついに一曲終わってしまった。Tはまだ用紙を探している。
 ブラスバンドが気を利かせて曲をループさせたりするが、それでももう間が持たなくなって、ブラスバンドは演奏をやめた。トロンボーンが、チャンチャン、という調子で終わりの合図をし、体育館は笑いに包まれた。Tはまだ紙を探している。

 わたしは実によくものをなくすので、小学校のときなどなにをどれほどなくしたか覚えていないほどたくさんのなくし物をしたものだが、だいたいものをなくす人というのは、そのなくすものに興味がないからなくすので、たとえばわたしはきれいだと思ってポケットに入れた石っころやヘビの抜け殻をなくしたことは一度もない。自転車の鍵やら家の鍵やらならずいぶんなくしたが、そういうものにもわたしはあまり興味がないものとみえる。
 つまりこの女性教師は神道の論文になど興味がなかったことになるが、これはとても健全なことだと思う。この発表ができないことになって、ブラスバンドがチャンチャン、と茶化してくれてよかったように思うのである。